人生このままで終わりたくない。
社会経験を積み、大概のことは卒なくこなせるようになった30代。
少しずつ気持ちにも余裕が出てくるからこそ、「新しい挑戦をしてみたい」という気持ちが自然と湧いてくる年代なのかもしれません。
一方で、勢いで飛び出せた20代の頃とは異なり、結婚・出産の「適齢期」、「キャリアの中断」などという言葉が頭にチラつき、人生の路線変更に対して躊躇してしまいがちな年代でもあるのではないでしょうか。
今回は、そんな30代で社内結婚した後、世界遺産アンコールワットのお膝元であるカンボジア・シェムリアップに夫婦で移住し、起業。約6,000㎡の更地に複合施設『PREAH GARDEN』をゼロから立ち上げ、スパ・ヨガ・飲食・お土産販売・ツアーなどのサービスを多角的に展開されている速水夫妻にインタビューさせて頂きました。
なぜカンボジア?ご夫婦にとっての「幸せのカタチ」とは?
じっくりお話を伺ってきました。
Artists' Profile
速水 亮子(Hayami Akiko)
1980年1月1日生まれ。東京都出身。
大学卒業後、株式会社船井総合研究所入社。経営コンサルタントとして飲食業界など数々の業種を経て、温浴施設のチームへ。年間300施設以上を見て回り温浴業界のノウハウを蓄積し、多くのプロジェクトに従事。
その後、楽天株式会社入社し、トラベル部門においてマーケティングを担当。結婚後は株式会社ジャルパックへ出向。
2014年3月、日本の現代夫婦の距離感に疑問をもち、本来あるべき姿を考えた末、夫婦での想い出づくりの一つとしてAKO株式会社を設立、代表取締役に就任。
2015年10月、カンボジア・シェムリアップにて、夫とともに『PREAH GARDEN』を開業。
速水 孝吉(Hayami Kokichi)
1981年3月15日生まれ。広島県出身。
2004年多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業後、アパレル企画会社を経て、株式会社サイバーエージェント入社。インターネット広告制作に携わる。
その後、楽天株式会社入社し、トラベル部門にて旅行予約に関わるWebディレクション・デザインに従事。楽天カレッジでのデザイン講師、カンファレンスでの講壇実績もあり。
現在は『PREAH GARDEN』オーナーとして、接客・写真撮影などを通じて “お客様にとっての最高の思い出作り” をサポートするべく日々奮闘中。
❖『PREAH GARDEN』について
・オフィシャルサイト
https://preahgarden-siemreap.com/
・Instagram
https://www.instagram.com/preahgarden/
・Facebook
https://www.facebook.com/preahgarden/
出会うはずもなかった「異人種」同士の社内結婚
──速水ご夫妻、今日は宜しくお願いします。
まずお二人が出会った頃のお話を伺ってもいいですか?
速水 孝吉(以下、孝吉): はい。前職の楽天トラベル時代に同じ部署に所属していました。僕はWEBディレクション・デザイン、妻はマーケティングを担当していて、比較的近くの席に座っていたんですよね。
速水 亮子(以下、亮子): ある時、私がWEBサイトに出稿したい記事があって、同僚に制作担当者として紹介してもらったのが彼だったんです。それまでは話したこともありませんでした。
──アプローチはどちらから?
孝吉: 僕の方からです。初めて話した時に「この人は!」とピンときて、結構グイグイといきましたね。それから頻繁に食事する仲になって、お付き合いすることになりました。
──やりましたね!
結婚の決め手は占い師さんの言葉だったとか?
亮子: そうなんです。その頃私が占いで「この人と1年以内に結婚するのが見えている」と言われまして。そこからはトントン拍子で結婚まで進んでいきました。実際には、ここでは言えないような紆余曲折もあったのですが(笑)。
──紆余曲折は聞かないでおきますね(笑)。
お互いのどこに惹かれたんでしょうか?
孝吉: お互いに出会ったことがないようなタイプだったので、新鮮だったんだと思います。
僕は、姉二人に妹二人というきょうだい構成で、女性に囲まれて育ったんですね。妹の面倒を見ることが多かったこともあって、以前はもっぱら妹タイプの人と付き合っていました。
でも妻と初めて話した時、そういう人たちとは全く違う雰囲気を感じたんですよ。いかにも「丸ノ内OLやってました」みたいな、ピシっとした感じで。すべてを仕事に注ぐタイプ。
それまで僕がいた会社のカラーも影響していると思うのですが、身近にいたキラキラした感じの女性達とも真逆の人種だと思いましたね。
亮子: 私の方は、「仕事ガツガツやりまっせ。俺についてこい!」というタイプの人とよく付き合っていました。でも、そういう人といると自分が追いかけるばかりになってしまうので、疲れていたんだと思います。
そんな時、穏やかでまろやかな感じの彼がフッと現れて、「思われること」がどこか心地よかったのかもしれませんね。
私にとっての幸せとは?夫婦とは?自分と向き合った結果、妻は「夫婦起業」を思い立つ
──起業のきっかけは、亮子さんが女子会で抱いた違和感だったと伺いました。
亮子: はい。当時私が31歳で、周りの友人たちは皆、結婚して子供ができた頃でした。ある時女子会に参加すると、話題の中心が「マンション買ったよ」とか「このブランドのランプがいいよ」「ああ、私もそれ買った!」というものだったんです。
その時ふと、「これから私もマンションを買って、みんなと同じブランドのランプを買うんだろうか。果たしてそれでいいのかな?」と思いました。
このまま大企業にいれば安定したお給料をもらえるし、それはそれで幸せだろうな、と。
でも同時に「人生もう1回くらいチャレンジしたいな」とおぼろげながら思ったことを記憶しています。
今後の夫婦のあり方についても考えました。
世間では「旦那が出張に行っている方がせいせいする」というようなことが言われていて、夫婦としてなんだか寂しいなと思ったんですよね。
そう思ったきっかけが、夫と二人で行ったパリ旅行。
ルーブル美術館に入るために並んでいた時、周りのカップルは皆ごく自然にイチャイチャしているのに、私たちは手を繋ぐわけでもなく突っ立っている。その時、「せっかくこの人を選んだのに、これでいいのかな?」と不安になってしまって。
「夫婦として、どんな姿が一番幸せなんだろう?」と真剣に考えたんです。
それで浮かんできたのが、老後に二人で縁側に座ってお茶をすすり、笑いながら人生の想い出を振り返っているシーン。
想い出作りのために、夫と一緒に何かしたいなと思いました。
社内結婚だったので、結婚後に私が異動を命じられ、仕事が暇になってしまったことも起業を後押ししましたね。毎日が充実しているとは言えない状況で「もっと仕事したい!」という思いが募っていった結果、「一緒に起業してみない?」と夫に相談しました。
──ちょうど色々な違和感が重なったことが、亮子さんにとって今後の人生を考えるきっかけになったんですね。
いざカンボジアへ。妻の完璧なプレゼンが、仕事でノリに乗っていた夫をも動かした
──孝吉さんは、亮子さんに起業の話を持ちかけられた時、どんな気持ちでしたか?
孝吉: 実はその時、僕は仕事面ですごく充実していたんです。
「このチームは君に任せた!」と期待もされていましたし、大舞台で登壇するチャンスなども頂いて、とにかくイキイキと働いていたんです。
でもある日、充実感とともに家に帰り「ああ、今日もすごい大変だった!」という話をした時、妻にキレられまして。
──なんと・・・
「結婚したお陰で、今仕事がすごくつまらない」と本音で言われてハッとしました。
それから色々と話し合って、「これはもう、夫婦として幸せじゃないね」という結論に達したんです。
当時、妻は既にかなり具体的な事業計画を作っていました。
経済産業省の創業補助金についても調べ上げて、磨きに磨いたプランを見せてもらったのですが、それがこちらも前向きになれるような内容で。素直に「すごく面白そうだな」と思いました。
妻は前々職で温浴施設の立ち上げ経験があり、人脈もあったし、「これはもう、やるしかないんじゃないか」と思いましたね。
──夫婦間でそこまで徹底したプレゼンをされる亮子さん、さすがです!
孝吉さんは、そこから迷うことはありませんでしたか?
孝吉: はい。僕の仕事はどこにいてもできるものだし、今の仕事は辞めてもいいかなと。5年後に戻ろうと思えば戻ることもできるだろうと思いましたし、特にリスクは感じませんでした。
──はじめから、出店候補地はカンボジアと決まっていたのですか?
亮子: いえ。夫に起業を持ちかけた時は「こんな感じでやりたい」という業態だけが決まっていました。その後、自分なりに近隣諸国の市場環境や進出条件などを調べた結果、一番有力なのがカンボジアだということになったんです。
孝吉: 2013年2月に初めてシェムリアップを訪れたのですが、最初に空港に降りた時の第一印象の良さが決め手になったところもありますね。その風景に二人ともなぜかすごく懐かしさを感じたんです。
──シェムリアップの言葉で表現できないような懐かしさ、分かるような気がします。
この土地が決まるまでは相当苦労されたとか?
亮子: そうなんです。その後も、日本とカンボジアを5~6回行き来したのですが、なかなか土地が見つからなくて。嘘みたいなうまい話を持ちかけられたこともありましたが、実際そんなにスムーズに進むはずもなく。
諦めかけていた時、また神田の占いに行ったんですよ(笑)。そうしたら「次回で土地決まりますよ」と。そして、実際にここが見つかったんです。「もうここしかない!」という確信とともに。
同じタイミングで補助金も下りることになったので、「これはやるぞ!」となりました。
自分で「幸せの基準」を決められる人生が最高に幸せ
──カンボジアで起業して一番よかったと思う瞬間はどんな時ですか?
孝吉: 僕は朝日ヨガ、夕日ヨガ(※)の写真撮影をさせて頂いているのですが、「今まで見た朝日の中で一番綺麗でした!」とか、「写真を頂いて一生の想い出になりました!」といった言葉をお客様から頂いた時ですね。
自分たちがここに施設を作ったことがきっかけで感動頂けて、本当によかったなと。
(※)360度自然に囲まれた蓮畑をのぞむ草原にて、朝日・夕日を全身で感じながら楽しめるヨガ体験プラン
亮子: 私は、日本とカンボジアの両方の良さがわかるようになってきたことでしょうか。
日本にいた頃は、スーツにヒールで丸ノ内をカツカツ歩いて、ふと綺麗な空を見上げた時などに、優越感に浸れるような感覚があったんですよ。「私は、できる女」みたいな。
自己満足ですけどね。
そんな私もカンボジアに来てからは、Tシャツ・短パン・ビーチサンダルという正反対のスタイルで、そこら辺を牛が歩いているような大自然に囲まれて生活しています。
旦那さんとバイクに乗りながら「犬がかわいいね」といった何気ない会話を交わしてみたり。そんな生活も愛おしいなと思うようになったんですよね。
頭で考えてばかりじゃなくて、「感じる」ことが多くなったことが、なんだか人間らしくていいなと。
日本は綺麗な国だし、ヒールの靴を履くとシャキッとなるし、それはそれでいいなと今も思うんですよ。
でも、日本にいた頃は、「みんなと同じマンションや家具を買わないと幸せじゃない」とか、「ヴィトンのバッグを持っていないと仲間外れだ」といったような価値観が自分の中にも確かにあって、どこか違和感を感じていたんですよね。
今は「幸せの基準」を自分で決められるようになって、ものすごく楽になりました。
外に出たからこそ、両方を比較できるようになったし、「どっちもいいな」と思えるようになったんですよ。私にとっては、それがここに来て本当によかったことだと思います。
──なるほど。そもそも、幸せを測る物差し自体がいくつもあって、どの物差しを選んでもいいし、どんな測り方をしたっていいんですよね。
【カンボジア】生涯の想い出づくりのために夫婦で移住・起業~田舎スパ『PREAH GARDEN』オーナー 速水亮子さん、孝吉さん(後編)~