True to Myself

【日本】社会の中での役割は自分で決められる ~女性の経済的自立を支援する ㈱ジュビリー代表・橋本絢子さん~

投稿日:2017年12月27日 更新日:

「もっと私らしく生きたい」と思うけれど、今更ながら私らしさって何だろう?

目の前のことをがむしゃらにこなしてきた20代はあっという間に終わってしまい、気づけば色々な意味でイイ歳に。
帰る家もあるし、仕事もあるし、生活に困らない位のお金もあるし、パートナーもいる。
「どこが不満なの?」と言われればそれまで。
自分が不幸だとは思っていないけど、何かが違う。

30代を迎えた後も、人知れずこんな思いを抱えて悶々としている人は少なくないのではないでしょうか。

つい最近まで同じようなモヤモヤを抱えながら過ごしてきた筆者。

「自分の軸をしっかり持ってイキイキと生きている人は、どんな風に世界を見て人生を歩んできているのだろう?」
と思った時、お話を伺いたいと感じた橋本絢子さんにインタビューすることができました。

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「男は女を養うべき、女は男を支えるべき」という古い常識を変えたい。

そんなビジョンを掲げ、プロライター養成塾やコピーライティング・起業に関する各種セミナーの主催等を通じ、女性が経済的に自立して生きるためのサポートをされている橋本さん。
高校は3ヶ月で中退、大学は中退前提で入学。25歳で借金100万円から独立起業した過去を振り返り、「ロック、アウトローこそが私」だといいます。

その生い立ちから、私らしく生きるヒントまでを伺ってきました。

Artist's Profile

橋本 絢子(Hashimoto Ayako)

株式会社ジュビリー 代表取締役

公式サイト:http://jubilee-web.jp/hashimotoayako/
Facebook:https://www.facebook.com/hasimotoayako

早くも6歳で芽生えた経営者への憧れ。「絶対世界を飛び回る社長になる!」

 

──そもそも、橋本さんが「経営者になりたい」と思うようになったきっかけは何だったのでしょう?

小さい頃から自分がお嫁さんになるイメージが全然湧かなかったんです。プリンセス願望を持つ女の子って多いじゃないですか。フリフリの服を着たりとか。それが私にはまったく分かりませんでした。

6歳の頃には社長になりたいと思っていましたね。
家族にサラリーマンがいなくて、父をはじめ皆自営業だったということも影響しています。特に、社長をしていた祖父がすごく楽しそうに見えたんですよ。

ある時、祖父が経営していた会社の何十周年かのパーティに参加したことがあったんです。とても華やかな会場を貸し切って、社員やその家族を300人位集めて行う盛大な会だったのですが、最後に社長挨拶で出てきたのが身近にいた祖父で。「ああ、こんな風に皆から感謝される人になりたいな」と思いました。

小学校中学年になると将来像も明確になっていて「私、絶対世界を飛び回る社長になる!」と決めていましたね。

 

「結婚がハッピーエンドじゃない」と気づいた9歳の頃

 

──小学生の頃から既に、女性が経済的自立する必要性を感じていたという橋本さん。なぜ、早いうちからそこまで成熟した考えを持てたのでしょう?

子供の頃、色々な問題を抱える夫婦をたまたま目にする機会があったんですね。
幸せそうに見えていたのに、ある時突然死別・離別に追い込まれてしまった夫婦や、家庭内トラブルが原因で片方が心身ともに蝕まれていってしまった夫婦などです。

それで「結婚すれば安心というのは違う」ということに9歳くらいで気づいてしまったんです。どんなにお金持ちの人と結婚しても、その人がある日突然いなくなってしまうかもしれないじゃないですか。

相手が長生きする前提で結婚する人が多いように思いますが、「人はいつ死ぬか分からない」ということをその時すごく感じましたね。同時に「男の人の収入に頼るのって危ないよね」ということも実感しました。

その後、11歳の時に足を骨折して4ヶ月間入院したのですが、その時にも「いつ何が起こるかわからない」ということを実感して。

体が動かなくなればお金が入ってこなくなるかもしれないと思ったら、すごく怖くなったんです。家から出られなくなったとしても稼げるようにしておかなければならない。何かスキルをつけなければ、とその頃からなんとなく考えるようになりました。

 

優等生が教科書を学校に忘れた日。そこから人生の逆転劇がはじまった

 

──高校は3ヶ月で中退したと伺いました。何かきっかけはあったのでしょうか?

教育に厳しく学歴を重視する家庭に生まれたこともあって、中学生までは勉強ばかりしていました。
小学校高学年の頃には塾を6つ掛け持ちし、22:00頃に帰宅してから学校と塾の宿題をやるような生活で、週2〜3回徹夜していたこともあります。今より働いていましたね(笑)。

そこまで勉強熱心だったのは、家が厳しかったという理由もあったのですが、勉強がある意味「逃げ場」になっていたともいえるかもしれません。当時学校でいじめられていて、先生がいる授業中以外は全然安心できない日々が続いていたのですが、休み時間でも「ガリ勉」のフリをしている間は身を守ることができたんです。

お陰で中学校まではずっと学年5番以内に入る優等生だったのですが、「全部100点じゃなきゃ生きている価値がない」と思いつめる程の完璧主義でした。

高校も進学校に入学しましたが、そこでも初めのテストでは4番に入ることができたんですよ。
ところが、次のテストでやってしまいました。いつも教科書を丸暗記していたのですが、その時なんと教科書を高校に忘れて帰ってしまったんです。それで「もう暗記できないし、100点取れないなら自分じゃない。もうやめるわ!」と。学校自体やめてしまいました。

それから、これまでの人生を全部変えたくなったんです。すべてを逆にしようと思いました。まずは優等生キャラを脱却しようと思って、髪の毛をブリーチして、ピアスを開けて。当時流行っていたアムラーファッションを真似してみたり。

当然家族や身近な人たちからの風当たりも強くなりましたけど、それによってさらに、「私は私の人生を歩むんだ」という意思が強くなりましたね。

 

大学は“予定通り”中退。25歳で借金100万円からの起業

 

──幼い頃から体が強くなかったこともあり、心身のちょっとした違和感を鋭く察知することができたという橋本さん。晴れて入学した第一志望の大学を中退し、20歳で就職されています。
よくお聞きすると、そもそも中退前提で大学に入学していたというので驚きです。一見変わった進路に思えますが、当時はどんな想いがあったのでしょう?

もともと絵を描くのが好きだったので、デザイナーになりたいと思って。大検取得後に美大の予備校に通い、第一志望だった武蔵野美術大学に入学することができました。

中退するつもりで入学した理由ですか?
好きだったスピッツの草野マサムネさんが同じ大学を中退していたので、真似したかったんです。中退するのが当然ぐらいに思っていたし、充実した生活が4年間続くなんて、はじめから思ってもいませんでした。

大学では、生活費を自分で払ってこそ一人前の人間だと思っていたので、学業とアルバイトを両立する忙しい日々が続きました。すると、クラスのみんなからは「学生なんだから学業優先でしょ」といったようなことを言われました。
私からすれば「親のお金で芸術を語るなんてもってのほか」という感覚だったので、その時点でもう学校は合わないなと思いましたね。

当時就職氷河期だったので、就職できないことがすごく怖かったこともあります。大学はやめると決めていたので、1年生から就職活動をしていました。
そんな中、友達が出合い系サイトで知り合った社長のデザイン会社を紹介してくれ、就職が決まりました。社員は自分だけ。月給10万円で1週間会社に泊まるという今思えば過酷な環境でしたが、面白い経験ができたと思っています。

自分はロックな人間だと思っていたので、大多数の人たちと異なる道へ進むことへの不安はまったくなかったですね。
とにかく、みんながやっていることをやりたくなかった。「常識」とか「世間体」とか言われると拒絶反応を起こしてしまうというか。そこを押し付けられたら、どんな手段を使ってでも逃げようと思いましたね。

──その後、WEB制作会社に転職し、営業・ディレクター職に就かれた橋本さん。とある案件で未経験ながらコピーライティングを担当したところ、思いのほかクライアントに好評で「言葉で人の心を動かす喜び」に目覚めたそう。
それをきっかけに大手求人広告会社にコピーライターとして転職。
約1,000社の求人広告・経営者インタビューに携わりキャリアを積んだ後、25歳の時に貯金ゼロ・借金100万円から会社を設立し、経営者となる夢を実現されています。


起業直後は順調とはいえない時期もあり、詐欺に遭って借金が当初の5倍に膨らんだことも。それでも前だけを向いて突き進んだ結果、事業を軌道に乗せることができ、借金は3年で完済。現在に至るまで8年以上会社経営を続けていらっしゃいます。

 

本当は誰にでもやりたいことはあるはず。感性を刺激するものに囲まれてみよう

 

──傍から見ると激動の半生を送ってこられたように見える橋本さんですが、
「絶対世界を飛び回る社長になる!」と決めてからはずっとそのつもりで生きてきたため、途中「自分が何をしたいか分からない」と悩んだことはないといいます。


そんな橋本さんに、あえてお聞きしてみました。
30代を迎えても、「自分が何者なのか」「自分は何をしたいのか」が分からずモヤモヤしている人も多いと思います。
そのような人たちが私らしく生きるにはどうしたらよいでしょう?

これは日本人によく見られる傾向だと思うのですが、自分と他人との間に境界線があまりない人が多いと思うんです。周囲からどう見られるかを過度に気にしたり、嫌われることを恐れたりするがあまり、他人に言われたことを鵜呑みにしてしまう。

例えば「あんたはブスだから結婚できない」と言われたら、「ああ、そうなんだ」と思ってしまったり。他人から言われた評価を自分の評価にして可能性を閉じ込めてしまっている人が多い。それはもったいないことだなと思います。
実は、やりたいことがない人ってあまりいないんじゃないかと思うんですよ。

「自分が何をしたいか分からない」と言っている人の多くは、「時間がない」「お金がない」などと言って、できない理由を探しているんでしょうね、きっと。「自分には無理」だと、本当はやりたい気持ちに蓋をしてしまっていることもあると思います。やりたいけど怖いから。

──なるほど。では、「何もリスクがなかったとしたらどうしたいか?」と自分に問いかけてみると、本当にやりたいことが見えてきそうですね。

本屋さんに行くのもおすすめですよ。本屋さんに並んでいる本のタイトルって自分への質問だと思うんです。すごく興味があって手に取った本の内容は、何かしら自分がやりたいことと関係があるものだと思います。情報に囲まれることで、自分が何をしたいのかが分かってくることもあると思いますね。

私自身、ちょっとでも違和感があったら、それこそ本屋さんに行ったり、人に会ったりしています。一人でいて自分がどうしたいのか分からなくなったら、とにかく人や情報と繋がることが特に大事だなと思うんです。

 

 

❖インタビュー後記:

---性別、容姿、小さな頃に親や身近な人から言われた自分を形容する言葉。
生まれ持った要素に規定される自分の社会的役割に違和感を感じながらも、
その役割を全うする以外の選択肢を知らなかった。

戸惑いながらも、与えられた役割を演じている方が楽だと感じたこともあった。
周囲が自分に期待する役割に逸脱した振る舞いをしたら、なんだかとても大変なことになるような気がしていたから。

他人の期待を裏切らない生き方を続けていたら、いつしか自分が何者なのか分からなくなった。---

 

筆者はまさにそんな人でした。

誰と一緒にどんな舞台に上がり、どんな役を演じるか?
本来、それは生まれながらに与えられた素材に関わらず、自分で決めていけるものであるはず。

「経済的に自立して幸せに生きる女性」とは、稼ぐ力があることはもちろん、
自分が望む役割をよく知り、自分に与えていくことができる人を指すのでしょう。
橋本さんのインタビューから、そんな風に認識を新たすることができました。


どんな役割も演じられるとしたら、どうありたいのか?

これまでのことは一旦忘れて、まっさらな状態で自分に問いかけてみたいもの。

自立した幸せな女性が世界中でますます増えていきますように。

(Interviewed & Written by HARU)

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