True to Myself

【ラオス】五感にしみる心地よさを道標に 〜山間部に医療を届ける看護師・赤尾和美さん〜

投稿日:2017年11月21日 更新日:

ハワイで8年、カンボジアで14年間HIV専門医療に携わり、2013年からはラオスで小児病院の立ち上げを行ってきた赤尾和美さん。現在は、2015年2月に開院したラオ・フレンズ小児病院にて、医療が届かない遠隔地に住む人々を訪ねる訪問看護を中心に行われています。

今回は、ラオス・ルアンパバーンにあるご自宅にお邪魔し、その活動についてもさることながら、赤尾さんのバイタリティ溢れる行動力の源泉、そして人生観に迫ることができました。

Artist's Profile

赤尾 和美(Akao Kazumi)

看護師、特定非営利活動法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表。

杏林大学看護専門学校卒業。看護師免許取得後、臨床経験を経て渡米。アメリカ合衆国ハワイ州看護師免許取得。ワイキキ保健センターでHIV専門クリニック、HIV専門団体にてHIV/AIDS予防教育担当として勤務。
1999
年にアンコール小児病院ボランティアとして、カンボジアに2か月滞在。2000年より20134月まで 、同病院にてHIVと訪問看護の専門家として従事。

2009年よりフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN事務局運営責任者、副代表となり、2016年より代表を務める。20114月より武蔵野大学通信制にて心理学専攻。20133月に心理学学士、心理認定士資格取得。2016年に看護学学士取得。

45回医療功労賞・海外部門受賞

フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーHPhttp://www.fwab.jp/
赤尾看護師ブログ「この小さな笑顔のために」:http://akaisippo.exblog.jp/

「不便の心地よさ」が原点に立ち返らせてくれる

赤尾さんの活動拠点であるラオス・ルアンパバーンの景色

──これまでのキャリアをお伺いすると、トントンと波に乗ってこられたように見えるのですが、途中迷いや悩みなどはなかったのでしょうか?

小さい悩みはもちろんあったと思うのだけど、実はあまり覚えていなくて。何か決断する時には勝手に決まっているという印象があります。大きな決断はね。「何を食べようか?」といった些細なことの方がすごぐ悩んでしまうんです。

もちろんブレることはあるけれど。現地の人たちの生活を見たり、患者さんのところに行く道中で色々なものを目にすることでパワーをもらって、ブレそうになると元に戻してもらっているんだな、と感じることはありますね。
はじめ2ヶ月の滞在予定で入ったカンボジアになぜあれだけ長くいることになったかというと、「五感への刺激」がとても気持ちよかったからだと思うんです。

綺麗なものを見たり、よい香りを嗅いだりといったことではなくて。
逆に汚いものを見るとか、異常な暑さとか、一般的には「心地が悪い」と言われるようなことが私にとっては本当に気持ちがよかった。「不便の心地よさ」とでも言うのかな。

「綺麗なものと汚いものがどっちもあるんだ」と知ること。それが私の脳みそをものすごく刺激して、「気持ちがいい!」という興奮状態になるんです。そういう刺激でモヤモヤが洗い流されるし、「私がここにいるのはなぜ?」「ここで私がしたいのは何だっけ?」というところにきちんと戻ってこられる。

私、「あなたを突き動かしているものは何?」と聞かれたら、「快感」と答えます。

数日前に突然山を登って訪問看護に行くことになったのだけど、一歩一歩進んでいくことで何かに近づいているという感じがして。そして目的地に辿り着いた時の達成感というのかな、それが本当に快感なんですよ。到着した後に、そこに住む人たちの生活に変化を感じられた時もすごく嬉しい。「ああ、良くなってる!」と。

数字で表せるような成果ではないし、やっている本人にしか実感できないことなのだけど。変わると信じてやってきたことが目に見える形になって現れてきた時は、ひしひしと感じるものがありますね。

 

決断は一瞬で。本能とひらめきの赴くままに進んできた

ラオ・フレンズ小児病院の中

──「快感か否か」というのが、人生の判断軸みたいなものなのでしょうか?

判断っていうような冷静なものじゃなくて、もう本能でそっちに行っているという感じかもしれないですね。

昔からそうでした。高校を選ぶ時もある日突然「女子校に行く!」と決めたり、看護学校に進むことも突然ひらめいたりとか。本当は体育大学に行くつもりでしたが、その頃父が倒れて。入院中の父にずっと付き添っていたので、毎日医療現場を目にすることになったんですね。それである時「あ、看護師になろう」って決めちゃった。

私、元々おせっかいだから。医療現場で誰かのお世話をするというのを見ていていいなと思ったのかもしれないですね。

──看護学校卒業後、日本の病院で働かれていたということですが、なぜハワイに行くことになったのでしょうか?

当時日本の大学病院で働いていましたが、次々と役職が上がっていってもいずれ頭打ち。先が見えてしまい、少し物足りなくなってしまっていたのかもしれません。

ちょうどその頃、付き合っていた人がハワイにいたんです。結婚したいと思っていたし、「じゃあ、もう行っちゃおうかな?」という感じで行ってしまいました。

自分の中で「行く」と決まっていたので、まったく悩みませんでした。

実は当時、母が周囲の人たちに言われたらしいんです。「どうしてそんなところに行かせちゃうんだ?」って。でも当時の私からすれば「私が決めているのに、なぜ相談しなきゃいけないんだろう?」という気持ちで。「周りに何を言われようが勝手に行く!」と思っていましたね。

──そこから8年間ハワイにいらして、その後カンボジアに14年間。
カンボジアに活動の拠点を移されたきっかけは何だったのでしょう?

ハワイで看護師ライセンスを取得した学校の校長先生がアンコール小児病院の看護部長になったんです。その方から「英語が話せて、看護師教育ができる外国人が必要なのだけど、ボランティアで来ませんか?」と言われて。「行きます!」ってすぐに決めちゃったの。言った後に「カンボジアってどこだっけ?」と思ったのだけど。

 

この国に根付くものは何か?一進一退で探り続けたカンボジア時代

Kazu is here! 院内の赤尾さんの部屋

──カンボジアに初めて行った時は衝撃もありましたか?

最初の1週間位は緊張と戸惑いと無力感でいっぱいでした。

「どうしよう、私に何ができるかな?」と。看護を教えるというと、自分が習ってきた方法がベースになってきますよね。
それが、国が違えば衛生状況も文化も、使うものも全部違う。その中で言葉の壁を超えて何かを教えることの大変さは想像の域を超えていて。初めはかなり悩みましたね。

それでも、「コピペ」は無理ということはすぐに分かりました。この国に合うもので、患者さんに害のない方法を見つけていかないとダメなんだなと。

「これがダメならこれ、これがダメならこれ」と、パズルみたいなものですよね。それだけでなく、「これと、これと、これの間」のようなものを新しく作り出せる可能性もあるんだってことが途中で分かったりもして。

あとは、現地の人たちに引き継いでいってもらえる「根付くもの」をつくるという視点をとても大事にしていました。いくら私が「これがいいからやって!」と言っても、現地の人たちが納得していないなら、私達がいなくなった後に結局長続きしないから意味がないんですよ。

やってみてダメなら、「何がダメなのか?」「何を納得していないのか?」ということを突き詰めていく必要がある。進んで下がって進んで下がっての繰り返しですよね。でもそれが途中からすごく楽しくなっていったんです。

 

理解と尊重の先に。信じるものに寄り添うラオスでの訪問看護

赤尾さんの自宅から山を望む

──ラオスの医療現場について、他国と比べて何が一番違うと感じますか?

歴史や文化、習慣はもちろん信条的なものの影響がかなり大きいと感じます。

ラオスでは少数民族を集めると全人口の30%位を占めるのですが、それぞれの民族に独自の文化があって、とても強く信じられているものがあるんです。

例えば、お産後のお母さんが食べてはいけないと言い伝えられている「フードタブー」というものがあって、それを厳格に守っている人たちがいます。卵はダメ、タンパク質はダメとか、黒い皮膚のアニマルならよいとか。結構細かく決まっているんです。

産後、ご飯に水をかけて食べているだけというお母さんはよくいます。それでおっぱいに十分な栄養がいかなくて、子供の命に関わるような栄養失調が起こってしまうこともあるんです。

ラオスに来たばかりの時は、なぜそんなことになっているのか分からず本当に手探りでしたね。

「なぜ食べないの?」と聞くと、「食べられるものがない」と。「食料を買えないから?それとも他の理由があるの?」と聞いていくと、「具合が悪くなるから、食べてはいけない」と言うんです。タブーとされているものを食べると悪い精神が宿ると考えられていることもあって。

事情が分かれば、毎回「食べてはいけないものがありますか?」と聞けますが、そこにたどり着くまでには、「なんでだろう?」と思って、聞いては帰り、聞いては帰りの繰り返しでした。

彼らは言い伝えをとても強く信じているので、無理やり変えることはできないんです。

それが分かってからは「これとこれを食べて」と押し付けるのではなく、食べてもらいたいものをいくつか見せて「この中で食べられるものは何?」「村で手に入るものはどれ?」と聞いてみる。その上で、「これとこれなら食べられる」と答えてくれたなら、「じゃあ、赤ちゃんのためにそれらは必ず食べてくださいね」という風に伝えています。
伝え方に気をつけないと、結局伝えたいことが伝わらない。変わってほしいことが変わらなくなってしまうし、彼らも変えたいと思わないんです。

 

治して終わりではない。症状の裏側に目を向けてみる

院内で作業にあたる赤尾さん

──思いもよらないことがたくさんありそうですね。

本当に。ラオスに来てから感じるのは、「知らない」というだけで問題を抱えてしまっている人が多くいること。

ある時、8人の子を出産したお母さんがいて、7番目までの子達は皆生後4ヶ月経つ前に亡くなっていたんですね。全員栄養失調だったのではないかと思います。

私がお母さんに出会った時、8番目の子がちょうど4ヶ月になる頃で。その子も既に栄養失調で危ないところでした。

よく話を聞くと収入はゼロ。お母さんもお父さんも家にいるけど作り出すものがなく、日々近所の人にもらった白米に塩をつけて食べるだけだった。「仕事がない、何をしてよいか分からない」という状態でした。

私たちが食べ物を届けたこともありました。でも、ご家族は街から車で7〜8時間かかるところに暮らしていたので、せいぜい1〜2ヶ月に1回位しか訪ねられなくて。

それに、1kgの魚をそのまま食べられる期間は知れてますよね。食料を保存したいけれど、冷蔵庫もない。だから食べ方から伝えていきました。まず少しだけその日のうちに食べる。残りは時間が経ってからも食べられるように干し魚にして取っておくとか。干し魚の作り方も教えました。

そうしながら、収入も増やさなければならなかった。

お父さんは「本当は働きたい。でも働き口を探す方法が分からない」と言っていたんですね。そこで、村長さんに何度か相談してみると「うちのお手伝いをしてくれたら少しお給料をあげます」と言ってくれたんです。

さらに「ほかに自分達でできることはないですか?」とお父さんに聞いたら、「養鶏なら」という話になって。今度は村長さんが鶏を分けてくれる人を村中から集めてくれました。卵を販売して多少の収入を得られるようになり、本人たちも定期的にタンパク質を摂取できるようになって、生活レベルが少し上がったんですよ。

すると、本人達が今度は「何か栽培したい」と。
でも栽培となると、収穫するまでに時間がかかりますよね。「収穫するまでは、他の仕事と栽培を両方やっていく必要があるけど大丈夫ですか?」と聞くと、「ああ、そうか」といった反応で。

こんな風に、ただ単に知らないだけだったということが結構ある。知らせていくだけで、本当にみるみる変わっていくんです。

──医療の域を超えていますね。

良くなっておしまいではないので。よくある感染症にしても、病院で治療して症状がなくなったから「はい、退院」というわけにはいかないんですよ。それでは結局同じ状況でまた戻ってきてしまう。お金がなければ戻ってもこられない。「戻ってこないようにするにはどうすればいいのか?」を病院側は考えなければいけないと思っています。

 

向かうべきところは全部決まっている

──今の仕事をしていてよかったなと思う瞬間はどんな時ですか?

やっぱり、死にそうだった子や腕も上げられないような子が笑ったりとか、遊んだりした瞬間でしょうか?子供ってすごく正直だから、具合が悪かったら全く動かないし、泣き続けていることもある。でも、体調がよくなってくると笑うし、遊ぶんですよ。その時はもう本当に嬉しいかな。

──このラオスの病院は2024年まではサポートをし、その後は国に引き渡すということですね。その後については?

まったく想像もつかないですね。20〜30代の時と違って、今は日本で暮らす家族のことも心配だし、「私はこれをやりたいからやります」というわけにいかない部分もある。だけど、どこかで信じているのは、例えば今の仕事ができない状況になったとしても、「絶対に次の楽しい仕事が待っているんだ」ということ。そんな気がするかなあ。

昔から、自分で選んできたというよりは「人生ってすべて決まっているんだろうな」と思っているところがあって。色々なタイミングで色々な人たちと出会って、色々なことがあって。今までもそんな流れできているから、なんだかもう決まっているような気がするんですよ。

 

 

インタビュー後記:

日々不確かなものと対峙しながらも「必ずよくなる」と信じ、五感への刺激をアドレナリンに変え、道なきところに道を作って進み続ける赤尾さん。その活動への姿勢が、「どうなるかはわからないけれども、必ずうまくいくしかない」というご自身の人生への絶大なる信頼にも繋がっているのだと感じました。

そこに住む人たちに寄り添おうとすればこそ、時に一進一退の地道な看護活動。苦労が絶えないのでは?と思ってしまいますが、自分にとっての「快」が何であるのかを知り尽くした赤尾さんからの言葉からは、清々しさや高揚感さえ伝わってきました。

今回、『LifeArtインタビュー』記念すべき第1回目ということで、まだWEBサイトもない中での無理なお願いにも関わらず、快く取材に応じてくださり、本当にありがとうございました。

(Interviewed & Written by HARU)

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